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① 正面 惟時 嘉永二巳酉二月十五日 再建寄進 上下惣村中 惣檀中
発願人
苅部佐五右衛門
同 岩五郎
同 辰五郎
同 八 平
河原八五郎
苅部惣右衛門
世話人
苅部五良右エ門
同 八右エ門
中村庄右エ門
寄進連名
依知郷□下
妙純寺
下木谷村
宗川寺惣檀中
世話人 萬蔵
下川井村
栗原藤蔵
下□□村
秋山忠兵衛
□宮村
□□右衛門
座間村
□□右エ門
嘉永二年(一八四九)の再建記録です。保土ヶ谷区郷土史下=昭和十三年刊・妙福寺の項=によると、前出の日忍上人の代のことであり、それまで山上にあった同塔を山門脇に移築した時のものであろう。
当時の村役、檀中の名や関連する寺、人々の名があり、今日にもつながる興味深いものです。特に依知郷は龍口法難に遭った日蓮聖人が佐渡へ出立した故地であり、意義深いものがあります。
② 右側面 十萬部勧進唱行連衆
浄智院妙香日隨
松林院妙道日常
知恩院常栄日儀
善通院妙啓日寿
喜顕院栄学日領
本性院覚源日修
蓮性院妙種日澄
寂性院圓道日法
最傳院不休日悟
隋現院妙信日應
連性院圓量日俊
圓□院妙淳日種
本如院妙□日相
大正十二年九月一日ノ大震災ノ時折ル
大正十四年二月十日改立ス
四十代 日光 山下石工 中村兼吉
前段の十萬部勧進唱行衆の刻字は、字体から見て後出の左側面同刻字であり、同時代のものと思われます。唱行衆とはお題目を唱えながら基金集めに携わった在家の人々であろう。
後段は関東大震災で塔身が半分に折れた時の修理追記です。
③ 左側面
真如院法受日解
法信院道憂日善
秋顕院宗真日久
春光院妙真日長
高月院宗閑日山
同文院宗林日教
清憂院詠月日修
実相院妙行日悦
徳性院道裕日慶
浄信院宗立日徳
知徳院妙勇日進
妙慶 享保十乙巳年八月十六日
お題目塔建立落慶日の記録と考えられる。連署している十一の法名は建立を立願した在家の人たちであろう。
④ 裏面
作者 山本久四郎 改視
當村 再建石工 苅部伊兵衛
嘉永時の追記であるが、右の作者・山本久四郎、改視の意味が今ひとつ掴めない。
(註)文中、判読できない字は□、疑問推定の字は青字で示しました。
なお塔身右側面の「法守為主」の法と為の字は異体字(写真参照)で活字が無いため、当用漢字を当てました。 |